阿波の神

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Awa Ancient History

式内社と式外社

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古代の神社を研究するとき、よく聞く言葉に「式内社」があります。

まずはじめに、この式内社について説明します。

式内社とは「延喜式内社」の略です。

延喜(えんぎ)とは、平安時代元号の一つであり、901年から923年までの間を指します。

延喜式(えんぎしき)の「式」とは、当時の法典である「律・令」(りつ・りょう)の施行細則を記した「格・式」(きゃく・しき)のことです。

延喜5年(905)醍醐天皇の勅命により編纂が始まり、延長(えんちょう)5年(927)に完成。康保(こうほう)4年(967)より施行されました。

延喜式(全50巻)の内、巻1 ~ 巻10は、神祇官関係の式(神祇式)となっています。

いかに「神祇」(じんぎ)が、政(まつりごと)の根幹を成していたか、が、よく分かります。

延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)とは、この内の、巻9・巻10のことを言い、全国の神社・2861社と、そこに祀られる御祭神・3132座の総覧となっています。平安時代の神社数は、一説にはその約10倍あったといわれ、官社として特に厳格に祭祀を行うべき社を国司に知らしめる意味があったと思われます。

 

神名帳」とは、律令制において、神祇官(かんづかさ・じんぎかん)が作成した官社の一覧表を指します。「神祇官」とは官庁名で、 律令制の下では太政官(だじょうかん)と並ぶ最高官庁で、朝廷の祭祀を司り、諸国の官社を監督しました。

延喜式神名帳の内容は、「国・郡」別の「神社名」と「座数」、「官幣・国幣」の別、「大社・小社」の別、「幣帛(へいはく)を受ける祭祀」の別です。

式内社が重要視されるのは「10世紀以前から存在していたこと」「朝廷が特に重要視した神社であること」が公的に確認できるという二点にあります。

 

延喜式神名帳の欠点は、各社の祭神名と正確な位置が分からないことです。

このため、現存する神社のうち、式内社であることが明確なものの他、推定されるものや推測されるものがあり、前者を「比定社」、後者を「論社」と呼びます。

また、たとえ明確な式内社であっても「本来の御祭神が不明」という神社が少なくありません。

 

一方、式外社(しきげしゃ)とは、同様に10世紀以前から存在したが延喜式神名帳に記載がない神社をいいます。

このうち、国史においてその名が確認できる神社を「国史見在社」と呼ぶことがあります。