阿波の神

阿波の神

Awa Ancient History

分祀が意味するもの

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靖国神社(HPより)

神道には「分祀(分霊)」という観念があります。

社会的にこの言葉が浸透したのは、靖国神社における外交問題上の「A級戦犯分祀」問題でした。特定アジア諸国に対する配慮として、A級戦犯の御霊だけを靖国から分祀することで解決を図ろうという意見がありました。

このとき、靖国神社や一部の知識人から「神道での分霊とは、例えればロウソクの炎を別のロウソクに移すようなもので、御霊が他所に移動し元の社から無くなる如きのものではない」との説明がなされました。

 

このあと、また詳しく書きますが、神道の本質は「祖霊祭祀」です。祖霊の中でも格別の存在を「神」として祀ります。当然のこと、祀る主体は「その神の子孫」です。

これが、本来の「氏神」「氏子」の関係です。

あなたの家で、先祖代々、特に優れた祖先を家の守り神「祖神」として祀り続けていたとします。家が遠方に引っ越すことになったとき、移住先でも当然その神を祀るのです。ところが、あなたの家はある一族の一家にすぎず、祀るのは「一族全体の祖神」であり、その神を祀る社が特別に設けられていたときは、家中の祖廟を移せば済むという話にはなりません。

その社の神を移住先に分霊することになるのです。これが「分霊しても、その神霊は元の社に留まり続ける」という意味です。

 

崇神天皇のエピソードにもあるように、祖神は本来、居宅内に設けた「祖廟」で祀るもの。わざわざ別の場所に神祀りの社を設置するのはむしろ特別なことだったのです。

その神の偉力が絶大であるがゆえ、共通の場所で、一族全体でお祀りするため、もしくは「神がそれを望むため」のことです。

この「特別な場所」で祭祀に専念する家柄も、当然、その神の子孫家の一つです。

 

崇神天皇の場合は、皇女豐鍬入姬命と渟名城入姬命に、天照大神と倭大國魂神の祭祀を託しました。ほとんどの人がスルーしていますが、このことから天照大神だけではなく倭大國魂神もまた皇室の祖神であることがわかるのです。この後、祟りを為した大物主神自身が自分を祀る人物として、子孫の大田々根子を指名します。ここでもまた神と人との祭祀関係が浮き彫りになります。

 

都が置かれたために、畿内には数多くの神社が鎮座しますが、それは各地から上京した一族が、それぞれの故郷から祖神を分祀したからでもあります。

時代が下り、分祀が増え、あるときは祀り続ける家系が途絶え、やがて血縁にないものが神事を行うようになります。現代では職業神職が大勢いらっしゃいます。

 

神社の鎮座地と地域の人々が「氏神産土神)・氏子」の関係になったのが新しい時代の神と人との関係ですが、当然のこと、古代史を振り返るときには本来の「神の姿」にリセットした上で、歴史の物語を見つめなければなりません。