阿波国の式内社
阿波国の式内社は、50座で、大社3座・小社47座となっています。
◎ 板野郡 4座(大1座・小3座)
◎ 阿波郡 2座(並小)
建布都神社
事代主神社
◎ 美馬郡 12座(並小)
鴨神社
田寸神社
横田神社
伊射奈美神社
建神社
天椅立神社
天都賀佐毘古神社
八十子神社
弥都波能売神社
波尓移麻比弥神社
倭大国玉神大国敷神社二座
◎ 麻殖郡 8座(大1座・小7座)
忌部神社(名神大月次新嘗・或号麻殖神・或号天日鷲神)
天村雲神伊自波夜比売神社二座
伊加加志神社
天水沼間比古神天水塞比売神社二座
秘羽目神足浜目門比売神社二座
◎ 名方郡 9座(大1座・小8座)
天石門別八倉比売神社(大月次新嘗)
天石門別豊玉比売神社
麻能等比古神社
和多都美豊玉比売神社
大御和神社
天佐自能和気神社
御間都比古神社
多祁御奈刀祢神社
意富門麻比売神社
◎ 勝浦郡 8座(並小)
勝占神社
事代主神社
山方比古神社
宇母理比古神社
阿佐多知比古神社
速雨神社
御県神社
建島女祖命神社
◎ 那賀郡 7座(並小)
和耶神社
宇奈為神社
和奈佐意富曽神社
室比売神社
建比売神社
八桙神社
賀志波比売神社
一般名詞である「神社」(じんじゃ)は、本来(かみのやしろ)です。
八百万の神々の社を総称して、神社と呼ぶわけです。
現在一般に、神社は「◯◯+神社」と認識されていますが、本来は「「◯◯神+社」です。つまり、「◯◯」の部分が御祭神名であるのが神社名としての本来の形なのです。
たとえば、麻植郡の忌部神社は、別名「麻殖神」とも「天日鷲神」とも号す、と延喜式に記されています。日本書紀にも登場する御神名としての社名は「天日鷲神+社」で「天日鷲神社」(あめのひわしのかみノやしろ)であり、別名のひとつが「忌部神」であると確認できます。
神社には「分祀」という観念がありますから、たとえば、「遷座された先の地名」が社名に冠されたりするのは、元社との区別または時代の新しい神社であることが見て取れるわけです。
式内社の中にも同じ御祭神が祀られた社が複数存在します。当たり前のことですが、同じ神が全国の別々の地方で個別独自に祀られ始めるなどということはないのです。つまり、式内社の中にも「元(本)社」と「分社」の関係があります。
すなわち10世紀以前に、日本のどこかで祀られていた神が、主に人の移動(正確にはその神の子孫の移動)にともなって移住先に分祀されることにより、同神の複数地域での祭祀が起こるのです。
ただし、多くの神々、特に神道の中心的な神々は、上の例のように、尊称を含め複数の別名を持つことが一般的であるため、同神を別神と勘違いすることがあります。
「式内社」の解説で「御祭神が明確でない神社が多い」と書いたのも、このためです。
阿波国内においてさえ、「事代主神社」とあれば、誰がどう見ても、御祭神は古事記にも登場する大国主命の子「事代主神」なのですが、「大麻比古神社」となると「大麻比古神」とはいったいどのような神様か?ということになり、異論が続出することになります。
「大麻比古神」も「事代主神」の「別名の一つ」なのです。事代主神には、他にも複数の別名があります。これがわからない限り、日本の古代史の謎は解けません。
阿波国の式内社を見るとき、他国と比べて御祭神が明瞭な神社が多いことに気づきます。
これは、式内社の中でも鎮座年代が古いことを示しています。
その中には、記紀にもそのままの名で登場する神話の中心的な神々が鎮座しています。
これは、驚くべきことなのです。
さらには、これらの有名な神々を祀る式内社が、阿波国のみの祭祀となっている例が複数あります。
この意味さえ理解できない人々が、神道や歴史を語っているのが現状です。
このブログでは、これらの神道祭祀の本質的な視点から阿波国の神々を紹介したいと考えています。